「まちまるごと植物園」とは?
「まちまるごと植物園」とは、植物学者・牧野富太郎博士のふるさと佐川町で、町民が行っている植物に関わる活動を町全体で植物園に見立てて、植物を通じて人々がつながりあう“植物のまち”を目指した取り組みです。
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牧野 富太郎(1862~1957)
後に、「日本植物学の父」と称された植物学者・牧野富太郎博士が産声をあげたのは、文久2(1862)年4月24日、かの坂本龍馬が土佐を脱藩して一ケ月後のことでした。土佐国高岡郡佐川本村(現在の佐川町)に、父・佐平、母・久寿のもと誕生。生家は酒造業と雑貨商を営む裕福な商家でしたが、幼くして両親を亡くし、祖母の手で育てられました。 豊かな自然環境の中で育った富太郎少年は、幼い頃から植物に興味を持ち、小学校を2年で退学するも、植物採集をしたり、書物で植物の名前を覚えたりと、独学で植物学の研究を続けました。
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23歳で上京。東京大学理学部植物学教室への出入りを特別に許され、以後、東京と高知をたびたび行き来しながら植物分類学の研究に打ち込みます。26歳のとき、友人と『植物学雑誌』を創刊。その2年後、同誌上に共著で記載したヤマトグサは日本国内での最初の新種発表でした。 96年の生涯において収集した標本は約40万枚。新種や新品種など約1500種類以上の植物を命名し、日本植物分類学の基礎を築いた一人として知られています。
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成功を収めてからも、牧野博士はたびたび帰郷し、故郷への思いを生涯持ち続けました。あまり知られてはいませんが、故郷への功績として明治21(1888)年には、郷里の子どもたちの文化向上や科学教育の普及をはかるため、「佐川理学会」を創設。自らも指導にあたるほど、熱心に取り組みました。 明治35(1902)年、佐川に送ったソメイヨシノの苗木は、桜の名所となり、多くの人の目を楽しませています。 春の訪れをつげる愛らしい花、バイカオウレンは、晩年東京で暮らした牧野博士にとって、故郷を思わせる懐かしい花でした。いまも生家の裏山にたくさん自生しています。
佐川町役場 まちづくり推進課
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