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牧野公園のあゆみ

牧野公園のあゆみHistory

はじまりは「ソメイヨシノ」の苗から
はじまりは「ソメイヨシノ」の苗から
 牧野公園は、明治35(1920)年、植物学者である牧野富太郎が東京より「ソメイヨシノ」の苗を佐川町に送り、その後、地元の有志たちが青源寺の土手などに植えたことにはじまります。当時はまだ「牧野公園」ではなく、「奥の土居」と呼ばれていました。
大正初期、将来の桜郷を夢に描いた町民の手によって、奥の土居をはじめとした町内のいたるところにソメイヨシノの苗木が植えられました。 大正末期から昭和10年代にかけてそれらの桜は見頃を迎え、最盛期には大人数の観桜客で賑わいました。しかし、その後の太平洋戦争により、愛情をもって育成された桜も食料増産の犠牲となり、奥の土居も開墾地とするため全ての桜が伐採されてしまいます。
「奥の土居」から「牧野公園」へ
「奥の土居」から「牧野公園」へ
 昭和31(1956)年、戦後荒廃した奥の土居をもう一度甦らそうと動き出したのが、商工会を中心とした地元の人々でした。1000本以上の桜苗を植え、奥の土居の桜復活に取り組み始めます。そして、同年12月には牧野富太郎博士が佐川町名誉町民となりましたが、翌昭和32(1957)年1月に96歳で永眠しました。またその年に佐川町が奥の土居の土地を購入、この土地は昭和33(1958)年に「牧野公園」と名付けられ、牧野博士の分骨が埋葬されました。さらに、遊覧道路の整備も始まり、昭和35(1960)年、ついに牧野公園が落成、昭和40年代以降には復活させた桜が再び最盛期を迎えます。平成2(1990)年には高知を代表する桜の名所の1つとして、日本のさくら名所100選にも選ばれました。
牧野公園リニューアル事業
牧野公園リニューアル事業
 桜が再び老木となったことから、平成20(2008)年より桜の再生事業を開始し、さらに牧野博士にちなんだ四季折々の山野草も楽しめる公園にしようと、新たに平成26(2014)年度より10ヵ年計画のリニューアル事業に取り組んでいます。これは、佐川町がリストアップした「牧野博士ゆかりの植物」を中心に購入に頼らず、地域住民が種から育てた苗を植栽していく「みんなで育てる牧野公園」にしようというものです。
長い歴史の中、佐川町民とともに歩んできたこの牧野公園が、これからも多くの人々に愛され、ともに歩んでいく公園となることを目指しています。